ビジネススキルと熱い情熱をもとに難解な社会問題に取り組む社会起業家。
SDGsをはじめとする持続可能な社会を実現するには、切っても切り離せない存在です。
社会貢献をしたいという熱い情熱、そして実現させる実力を持ち合わせる彼らからは目が離せません。
世界で活躍している社会起業家の考えや価値観に触れ、自らのモチベーションに繋げていきましょう!
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世界で活躍している社会起業家
世界で活躍している社会起業家を3人ご紹介いたします。
Needs-OneCo,ltd:牧浦土雅
牧浦土雅(まきうらどが)さんは、1993年生まれの社会起業家です。19歳という若さでNPO法人e-Educationのルワンダ代表を任され、2014年にはTED「世界の12人の若者」の一人に選ばれています。
すべての原点はインド
当時高校生だった牧浦さんは、途上国の人々は幸福度が低いという先入観をもっていました。しかし、高校の課外活動でインドへ行き、英語教師として直接生徒と触れ合うことでその偏見は一掃されます。インドの子供たちはどんなに貧しくても、水道や電気などの整備が不十分で不便な生活環境であっても、とても幸せに暮らしていることに気付いたからです。この出来事は、牧浦さんの世界の見る目を大きく変えてくれました。
そして、高校卒業後は藤原和博という中学時代の恩師からNPO活動を勧められ、e-Educationのルワンダ代表としてアフリカのルワンダへと飛び立ちます。
当事者と話す
ルワンダでは現地政府と直接交渉し、講義内容を収録したDVDを700名に配布します。当時のアフリカでは非常に先進的な学習方法だったため、この取り組みで「ITでアフリカの教育を変えた」と話題になったそうです。そして、同時期に地方の農村を訪れた際、道端に放置された大量の農作物を発見します。農家のおばあちゃんに話を聞くと、輸送手段がないために放置されていたことが判明しました。この余った食糧をどうにかして活用できないかと思っていたところ、国連が難民キャンプの食料調達に困っているという話を聞きつけます。そこで国連に対して余った食料の輸送・販売を行い、食糧問題の解決にも貢献しました。
教育事業を中心に幅広く活躍
その後はタイでデータ関連事業PersonalDataBankの立ち上げや、フィリピンでQuipperというIT教育サービスの世界展開に従事するなど、とにかく多方面で活躍されています。ご自身も強みとして認識している「人を巻き込む力」やスピード感を意識した圧倒的な行動力で、これからも世界を舞台に活躍していくことが期待されます。
YOYOホールディングス:深田洋輔
深田洋輔(ふかだようすけ)さんは、シンガポールでYOYOホールディングスを立ち上げ、ビジネスとテクノロジーの側面から貧困問題を解決しようと試みる社会起業家です。AERA「アジアで勝つ日本人100人」の一人でもあります。
きっかけは”憧れ”から
当時阪大の教員だったある社会起業家と、テクノロジーで貧困問題を解決し、ノーベル平和賞を受賞したムハメド・ユヌス博士などから強く影響を受けたと深田さんは言います。彼らの困っている人々に捧げる熱い情熱に心を打たれ、自分も社会問題の解決に取り組みたいと思うようになりました。
「ビジネスとテクノロジーを通じて貧困問題を解決したい」
大学院卒業後に入社したDeNAを3年強で退社し、すぐさまフィリピンに移ります。現地で暮らす間に、携帯電話があっても通信料金がプリペイド方式(事前に使う分だけの料金を支払う)であり、料金も決して安くないため多くの人々は自由にインターネットに接続することが出来ませんでした。「もしインターネットを通してたくさんの情報に触れられれば、彼らの人生の選択肢は大きく広がるはず」そう考えた深田さんは、ロックスライド画面に企業広告を表示し、スライドで解除することで通信料のチャージができる「PopSlide」というサービスを開発。300万人ものユーザーに無料のインターネットを提供しました。配ったデータの総量は数年間で1ペタ以上というのだから驚きです。
世界はめまぐるしいスピードで変化している
創業から7年、インフラの整備などによって通信料が大幅に下がり、通信も安定するようになってきました。その影響を受け、Popslideのようなサービスもいまでは通用しなくなっています。しかし、進化のスピードが早く常に変化を求められる厳しい環境でも、深田さんは諦めません。「社会問題解決に現地で取り組みたい」、「自分も何か人の役に立ちたい」そんな熱い想いを胸に、今もなお挑戦され続けています。
防災ガール:田中美咲
田中美咲(たなかみさき)さんは防災ガールの創業者であり、「防災が当たり前の世の中」を実現するために尽力しました。2018年にはSparknewsが選ぶ世界の女性起業家22人のトップに選ばれ、世界的にも注目されている社会起業家です。
起業のきっかけ
田中さんの起業のきっかけは東日本大震災でした。もともと起業したいという想いは持っていましたが、「いまは発信スキルもなにもないから社会で身に付けてからにしよう」と思い、大学卒業後サイバーエージェント社に就職します。しかし、2011年3月11日、東日本大震災が起きたことで「ほんとうに自分はこのままでいいのだろうか」と強く感じたと言います。いてもたってもいられず、情報による復興支援を行う公益財団法人助け合いジャパンに転職。福島県で復興支援に取り組んだ後に、防災ガールを立ち上げました。
事業内容の決め手となった、ある言葉
新卒で就職した会社を退職し、ボランティアとして復興支援をしている時、福島の被災者の方と接する機会がありました。その際、田中さんは「自分のことや大切な人のこともちゃんとしな」という言葉を受け、ハッとします。
復興支援のような直接的な支援だけでなく、自分たちの身を自分たちで守る努力もしなければならない。もっと防災を身近に感じたり、実際の行動に結びつけるためには、そのような仕組み作りも必要なのだと気づかされたのです。
その出来事から、田中さんは防災意識の啓発に取り組むことに決めたそうです。
防災ガールを解散し、次の世代へ
2013年から続けてきた防災活動も徐々に関心が薄れていき、防災に関する問い合わせも防災ガールのもとにしかこない。自分たちの存在が原因で次世代を担う団体が現れず、「このままでは防災業界が活気を失ってしまうかもしれない」という危機感から防災ガールズの解散を決意します。そして、解散発表後はIMPACTFUL ACCELERATE PROGRAM FOR DRRというプログラムを実施。6年間で培った知識やノウハウを伝承し、幕を閉じました。その後田中さんはSOLIT株式会社を創業し、誰もが好きなファッションを楽しめる社会作りに邁進されています。
まとめ
今回は世界で活躍している社会起業家を3人ご紹介いたしました。
いかがでしたでしょうか。
起業するきっかけや生い立ちは三者三様ですが、「困っている人たちの役に立ちたい」という熱い気持ちは共通しています。彼らも最初から事業が上手くいっていた訳ではなく、同じ志を持つ周囲の人々の協力があったからこそ形にすることが出来たとも語っていました。解決が難しい社会問題だからこそ、一人で解決しようとせず、たくさんの人々を巻き込むことが大切なのかもしれませんね。